言行と責任

何も知らないイノセントな幼児ならともかく、情報は自分で取捨選択すべきものです。僕らは日ごろ、そうして情報に接しています。基本的に「責任」は受信者にこそあるわけで、発信者(それもたかだかツイッターで発言する個人)にそれを求めるのはある種の責任転嫁でしょう。

http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/13502

「情報の取捨選択の責任は受信者側にある」と当然のように書いているけれども、「情報の取捨選択の責任」って何だろう?

広辞苑にある情報の説明が気に入っている。

判断を下したり行動を起こしたりするために必要な、種々の媒体を介しての知識。

情報は受信した後、判断や行動に利用して初めて意味をなす。「情報の取捨選択の責任」は、つまり情報の有用性を判断し、判断や行動に適切に利用する責任ということだろう。

情報を発信することも情報に基づいた行動のひとつだ。だから、発信者も「情報の取捨選択の責任」を持つことになる。

受信者が責任を持つと言って、発信者に責任が無いかのように書くのはそれこそ「責任転嫁」だろうと思う。発信者は責任を負わないというのなら、「情報の取捨選択の責任」自体を否定してほしい。