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論理の話

原発は絶対安全なのか?」とゼロリスクを求めた結果、架空の安全神話原発に生みだしてしまった構造と似てるなあと思いますよ。非論理的な極論は、議論を成立させない。結果として強行突破や架空のゼロリスク論を生み出してしまう。

https://twitter.com/sasakitoshinao/status/484498078481666048

もともと、“絶対安全な原発”“ゼロリスクな原発”など求めた人、などはいなかった。いたのは“原発にゼロリスクはあり得ないから、やめろ!”という反原発派である。

あったのは、「リスクは無くせないでしょ?(だから原発ヤメロ)」という論法であって、それに対して何が何でも原子力を推進したい側が原発安全論を打ち出してきたのだ。

ゼロリスクなど求めていません - シートン俗物記

論理を使って考えてみる。

次の論理式は(古典論理として)妥当だ。

((P ⇒ Q) ⇒ ¬P) ⇔ (P ⇒ ¬Q)
P Q ¬P ¬Q P⇒Q (P⇒Q)⇒¬P P⇒¬Q
T T F F T F F
T F F T F T T
F T T F T T T
F F T T T T T

Pを「原発をやる」、Qを「リスクがある」と読めば、「『原発をやるならばリスクがある』ならば原発をやらない」と「原発をやるならばリスクがない」は同値だ。

だから、「『原発やるのはリスクがあるから原発やらない』ということは『原発やるならリスクをなくせ』と同じことだ」と考える人がいてもおかしくはない。

もちろん、「原発にゼロリスクはあり得ないから、やめろ!」と「ゼロリスクなど求めていません」を同時に主張する人がいてもいいけど、古典論理へ翻訳すると矛盾するわけだから、翻訳が間違っているか、別の論理で考えていることにはなるはず。