記号と通信に関する抽象階層モデルのメモ

情報科学・技術と記号論を関連付けようとする試みは、いくらか存在するが、個人的には、いままで提示されているモデルで納得がいくものはあまり多くない。既存のモデルは、断片的だったり不正確だ。ここでは、より正確であるが、詳細になりすぎないモデルをメモしておく。

情報システムは、次の4つの世界観に分けて、考えることができる。低次のレイヤーから順に、

  • 物理界=場の世界
  • 通信界=信号の世界
  • 計算界=表現の世界
  • 人間界=意識の世界

と考える。

物理界は、情報システムをそのように物理的な系として解釈した世界観だ。人間や計算機は、センサーやアクチュエーターなどを介して物理的な外部環境と相互作用している。そうした過程のすべての現象は、計算過程や通信過程も含めて、実際にはすべて物理的な法則に従っている。物理界では、人間の知覚しがたい現象が作用しあい、混沌としていて、高度な数理モデルによって記述される。

通信界は、宇宙のうち、秩序だって信号を伝達できる部分を抜き出した世界観だ。そこには、伝達が望まれるシグナルと、伝達が望まれないノイズの区別が存在している。その区別は、すべてを場として扱う物理界には無かったものだ。ノイズを効果的に除去する変調技術によって通信路は延長され、現代では地球的な通信網が形成されている。

計算界は、通信によって結ばれ、表現を交換するエンティティからなる世界観だ。エンティティどうしは物理的には隔てられているが、通信網によって接続されていることで、計算界においては、直接的に接しているように見える。通信は、表現を信号に変換し、物理場を介して伝達し、また表現に戻す。これによって、通信路自体はほとんど透明であって、路というより面のように見える。これがインターフェースであり、エンティティはインターフェースを介して表現を交換しあっている。エンティティは、表現をなんらかの法則で別の表現に変換し、またインターフェースを介して交換している。

人間界は、エンティティが意識しているオブジェクトからなる世界観だ。人間は意識的に環境と接し、オブジェクトを認識する。計算界より下の世界の多くの現象、たとえばエンティティやインターフェースや表現といった計算界の現象は、無意識の存在になっている。コンピューターが処理する多くの計算は人間に意識されないが、一部の計算は、人間が意識できるオブジェクトとして提示される。

ひとつの情報システムは、こういった4つの世界観によって見ることができる。重要なのは、情報が伝達される過程を、場の世界から論じることも、心の世界から論じることもできるということだ。つまり、情報は、物理的には電場として存在しているが、それが通信上は電圧の高低によって記録・伝達される111001100101011のようなデジタル信号だったりする。これをコンピューターは、29483という数値として処理したり、あるいは"猫"という文字として処理したりする。しかし、コンピューターのそのような計算はプログラムされた機構であって、コンピューター自体は信号を数値や文字として意識することはなく、ただ機械的に計算しているだけだ。29483という数値に大小の感慨を抱くこともないし、"猫"という文字を処理しているからと言って、猫という動物を連想したりはしない。逆に、「猫」という文字を読んだ人間の多くは動物の猫に思いを馳せるのであって、この「猫」という文字自体について考え出す人は少ないという点で、人間は認知機能としては「猫」という表現を確実に処理しているにも関わらず、表現自体は意識にのぼりづらいと言えるだろう。

情報システムの見方をこういった世界観のレイヤーに分けることで、次のようなことが言えるかもしれない。

  • 高次の世界の現象は低次の世界でも解釈が可能だが、その逆は成り立たない。人間も計算機も(還元した結果を計算できるかはともかく)物理現象に還元して解釈できる。しかし、物理現象のなかで通信として解釈できるのは一部の現象だけであり、計算として解釈できるのはさらに少なく、人間の意識に昇ってくる現象はそのほんの一部分だ。

  • ヒトはそれ自体で人間的にも計算的にも通信的にも物理的にも解釈が可能なエンティティだ。人間自体も物理現象に還元されるし、通信現象に還元されるし、計算現象に還元される。人間と機械を区別せず計算を行うエンティティと考えても問題がない。

  • 人間と人間、人間と機械、機械と機械といったインターフェースでやりとりされる表現は異なる。具体的にどのような表現を使うかは、当然、情報技術分野で詳しく検討されているので、情報技術に記号論的な考察を加えるのであれば、そういった表現の体系を適切に説明できるようなものでなければならないはずだ。

  • プログラミングがなぜ難しいのかと言えば、その一因として、ふだん人間が意識しない計算界について意識せざるを得ないから、ということがあるだろう。そして、計算について意識をするようになったプログラマーも、通信に関してはあまり意識をしていないかもしれない。しかし、適切な方法でプログラムを行えば、通信を意識させずに計算をプログラムすることができる。同様に、計算の大部分を隠蔽して、意識する計算を抽象的なものに絞ることで、プログラムは人間の手に負えるものになる。