一元論的記号論
記号論あるいは記号学と呼ばれる学問がある。これは、意味を担う媒体たる記号がなすシステム=記号系に普遍的な構造や性質を記述することによって、個々のシステムの分析に役立てることを目的としている。人間はあらゆる物事に意味を見出しうるので、記号論が対象とするシステムは世界全般にわたると言ってよい。あらゆるシステムに普遍的に存在する記号という概念を、どのようにモデル化するかが記号論の問題となる。
『記号と再帰』[1]では、既存の記号モデルを二元論と三元論に大別し、その両モデルがどのようにして統合されうるのかを、プログラミング言語を題材にして論じている。[1]の提示するモデルでは、記号は指示子・内容・使用という構成要素から成る。
しかしながら、既存の記号モデルは、二元論にしろ三元論にしろ、記号モデルとしては不完全だと私は考えている。なぜかというと、既存の記号モデルは心的対象としての記号を想定しているからだ。実際には、記号は物理的な世界と関係を持つし、記号を処理する存在もまた物的存在だ。すなわち、記号系として記述された系は、同時に物理系としても記述することができる。記号系としての記述と物理系としての記述の間には、何か対応関係があるはずだ。記号論も物理学もともに「普遍的な構造や性質を記述する」学問であり、心的対象と物的対象の区別が取り払われれば、両者は一致する。そこに、記号の物理的定義を考える必要性がある。
私の仮説では、「記号とは時空間上のループ」と考える。もう少し具体的に説明すると、時空間上の点Aから2物体p, qが出て、その未来の別の点Bで再び出会った時、p, q両者の経路を合わせると、時空間上のループになっている。(図1)同じ点Aから出ている2物体p, qは情報媒体であり、情報を共有していると考えられる。そういう情報を共有している媒体が異なる点Bで出会うという構造があるとき、つまり「時空間上のループ」が存在している時、その構造は記号と呼べるだろう。
図1: 時空間上のループ状の軌跡
「記号とは時空間上のループ」というモデルによる一元論的記号論は、系や媒体の規模を問わず、普遍的に適用できる。人間は介在しても、しなくてもよい。人間も人間以外の他の存在も等しく情報媒体として扱うからだ。例えば、点Aで地震が発生し、点Bである人が地震を経験する。そして、経路pを「発生した地震のP波を地震計が記録し、警報が発され、通信網を伝って人間に到達し、それを人間が認知し、その後実際に地震を経験する」経路、経路qを「発生した地震のS波が、地面を伝って人間に到達し、人間が地震を経験する」経路とする。警報の認知と地震の経験が人間の脳内で結びつき、警報が真に地震を知らせていた事実が確認される。
「地震の情報が事前に伝わる」というためには、警報が伝わるだけでなく、警報が伝わった後に実際に地震を経験する必要がある。地震が来ないのであれば、警報は無意味となってしまう。情報が意味を持つか・持たないかということが、時空間上にループ構造ができているか・できていないかに対応している。
地震を経験した後に警報が鳴った場合も、その警報は無用ではある。しかし、その場合は「地震が警報の情報を伝えている」と言えてしまう。地震を経験することで、その後警報を認知するだろうということが予測できる。すなわち、地震と警報は、エネルギーの大小の差を捨象すれば、対称の関係だ。情報が伝わる段階では、「警報が地震を知らせている」のか「地震が警報を知らせている」のか、区別しようがない。「経路が情報を共有している」とは、つまり複数の経路が互いに別の経路の存在を知らせるという構造だ。既存の記号モデルは、このような対称性を説明しない。
地震が先に来た場合でも、人は普通、「警報が地震に間に合わなかった」と考え、「地震が警報を知らせている」とは考ない。しかしそれは単に、地震の方が警報よりも重大な現象だからだ。警報は人を脅かす程度だが、地震は実際に人間や財産に被害を及ぼしうる。そのような心理的価値判断が、現象のどちらを情報とし、どちらを情報の知らせる物事とするかを主観的に決めている。また、重大な現象に結びつく情報は価値ある情報だと言える。地震の前に来る警報は人間の適切な対処、ひいては人間や財産の保護に繋がるが、地震の後に来る警報は繋がらない。このような差異が、前者の価値を高め、後者の価値を低めている。
人間の主観的価値判断では無価値に思えた情報経路も、それが価値あるループの一部であることが判明すれば、経路に意味を見出せる。つまり、情報媒体の経路がループ構造を持つことを指摘することで、既存の記号論では取りこぼされてきた、主観的には無意味な記号の持つ隠れた意味を、客観的に提示できる。
有用な情報は価値ある情報で意味がある。無用な情報は価値なき情報で意味がない。記号の意味・価値・用法の本質は一体で、それは時空間上のループが存在することだ。記号の持つ恣意性は、経路の恣意性として説明できる。経路がどうあれ、ループ構造がトポロジカルに保存されるのであれば、経路は同じ役割を持ち、同じ価値を持ち、同じ意味である。記号の持つ多義性は、経路の共有性として説明できる。現実の世界は、大量のループが複雑に絡みあった形をしていて、それぞれのループが記号になる。経路が複数のループで共有されているならば、経路は複数の役割を持ち、複数の価値を持ち、複数の意味を持つ。
一元論的記号論の記号モデルは、我ながら興味深いモデルだ。このモデルを使って今後実際の記号系の分析を行いつつ、一元論的記号論を発展させたいと思う。