将棋はゼロサムゲームか?

メタゲームについて思いついたことのメモ。たぶんおんなじようなことを考えたことがある人はすでにいっぱいいると思う。僕はよく知らないので、知っていたら教えて欲しい。

現実のゲームというものは、ある思惑の下で執り行われている。たとえば勝てば賞金が貰えるとか、爽快感を得られるとか、名声が手に入るとかね。そういうモチベーションがあるから、人はそのゲームに参加しようという気になる。将棋というゲームの外側に、将棋場だとか、もっと広げて将棋界だとか、そういうメタゲームが見いだせるわけだ。

そういうメタゲームでの思惑を使った評価関数を使うと、理論上はともかく、将棋もゼロサムゲームになるとは限らない。理論上の将棋では勝つことが至上の価値であったわけだけど、メタゲームまで含めればそうではない。現に将棋では負けの見込みが立ったら、投了をする。あるいは、負けそうなゲームになると盤面をひっくり返す(通信時代においては回線を切断する)ような輩もいる。その「潔さ」だとか「負けず嫌い」だとかは、メタゲームにおける評価基準が現れたものだ。

どのようなメタゲームが行われるかはゲームによって異なっていて、勝つことに至上の価値が置かれているゲームもあれば、紳士的であることも重要なゲームもある。反則はゲームにおけるペナルティである以上に、メタゲームにおけるペナルティとなりうる。

ゲームとメタゲームは相互に影響しあう関係であり、メタゲームを考慮すればもはやゲームのルールは永続的だとも限らなくなる。ゲームは参加者の気を引くようにそのルールを変えていく。おそらく、より魅力的なゲーム・ミームは永続することになるし、つまらないゲーム・ミームは淘汰されるだろう。