コメント欄についてのコメントまとめ
Twitterのツイートをまとめました。
2012年
コメント欄に載っけるか載っけないかで揉めるし、もうコメント欄は無くしちゃってコメントはツイッターにでも書かせてしまうのがいいのかもなー
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2012, 8月 17
ブログからはコメント欄を取ってしまったのだけれども、これは「文句言うな」じゃなくて、はてブでもTwitterでもどこでもいいから、もっと色々な場所でコメントして欲しいってことです。Request for Commentsです。面白い意見を聞かせてください。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2012, 9月 25
2014年1月17日
NATROMの日記のコメント欄が承認制になった時のコメントです。
“執拗な発言者の存在のためコメントを承認制にします - NATROMの日記” http://t.co/wzAiYo0iks
他63コメント http://t.co/pmmYaAn57T
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2014, 1月 27
http://t.co/mCSDwPHFNs
「コメント承認制のデメリットが一つ明らかになりました。」
「コメントを読む際、あるいはコメントを書き込む際には、読者の皆さんはこのような現象が起こりうるということを念頭に置いてくだされば幸いです。」
そんなこと言われたってしょうがない
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2014, 1月 27
コメント欄の何が面倒かって、他人の発言を自分が管理しなきゃいけないところ。承認制にするともっと面倒で、他人の発言を自分が「承認」したという事実で、他人の発言への責任をもっと持たないといけなくなる。承認制の時点で自由な議論もできないし、だったら廃止しちゃった方がずっと楽だ。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2014, 1月 27
コメント欄が無くてもみんな勝手にTwitterだったりはてブだとかに書くわけで、なんの問題もない。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2014, 1月 27
例えばOSASKも、Wikiというシステムを使いながら、勝手に書きかえてはいけないなど独自のガイドラインを設けるって形で運用していたけどうまくいかなかった。ガイドラインはWikipediaにもあるけど、やっぱりうまくいってるわけじゃないよね。結局半凍結とかするしかない。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2014, 1月 27
人間が文化的になることによって問題を解決しようという「文化的な解決」は、Wikiだとかコメント欄だとか掲示板のような大衆に開放されたコミュニティでは必ずしもうまくいかなくて、何らかのアクセス管理が必要になってしまう。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2014, 1月 27
つまり荒らしは管理者がBANしないといけない。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2014, 1月 27
もちろん、2ちゃんねるみたいに管理者の存在が薄いような場所だったら「荒らしはスルー推奨」のような「文化的な対応」で対処するしかない。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2014, 1月 27
コメント欄、本当は記事に対するコメントを書く場所であるのが理想なのに、コメントに対するコメントが付くことは避けられなくて、そうすると記事の話題とはどんどん離れていってしまうことになるし。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2014, 1月 27
はてなダイアリーのコメント欄はコメントに対するコメントをぶら下げることができるようになっていないので、全部のコメントがひとつのスレッドにぶら下がることになってしまう。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2014, 1月 27
スレッドがひとつだけだということは強制的にひとつの話題に集中させる効果はあると思うが、その話題が元の記事から離れていってしまうのはよくないと思う。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2014, 1月 27
2015年1月6日
Qiitaというウェブサイトのコメント欄が荒れた時のコメントです。
コメント欄って、チャットスペースじゃないけど、コメントへのコメントがしたくなるって点で悪い設計だと思うし、メタコメントができないコメント欄は撤去してしまった方がずっといいと思う
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2015, 1月 6
2015年7月28日
またQiitaのコメント欄が荒れていました。その時のコメントです。
荒らしや自演がおこるの、コメント欄があるからってのもあるし、Qiitaはコメント欄全廃すればいいのでは
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2015, 7月 28
基本的に「コメント欄」という仕組みは、ページの管理者以外がコンテンツをいじることができるという仕組みで、必ずしも優れているわけではない。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2015, 7月 28
本記事へのコメントではなく、コメントへのコメントのためのコメント欄になってしまっては、コメント欄の意義がよく分からなくなってしまうし、ひとつの記事にひとりがコメントできるのは一件だけ、のような制限が必要。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2015, 7月 28
僕のブログではコメント欄は廃止してしまっていて、コメントははてブとかで勝手に付けてねってスタンスを取っている。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2015, 7月 28
本記事へのコメントとコメントへのコメントを区別する仕組みと、コメントの量を制限する仕組みがないから、荒れてしまう。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2015, 7月 28
まあシステムが悪くてどうしようもないところ、匿名掲示板では「荒らしに対してはスルー推奨」という対処の知恵が生まれてきたりしたわけなんですけど、その基本ができてない人多すぎですね。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2015, 7月 28
2015年8月5日
コメント欄について議論する分野はどこなのかについての疑問です。
ユーザーインターフェイスは人間と関係する部分だけど、例えばウェブサービスのあり方について、ユーザーインターフェースよりも高次の視点からの批評方法とか、身につけたいじゃないですか。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2015, 8月 4
ブログにコメント欄は必要なの? とか、色々面白そうなテーマがあると思うんだけど、どうも情報科学の範疇からはずれてしまう。
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2015, 8月 4
それはやっぱり社会情報学の範疇に入っていっちゃうのかなー
— Ryusei Yamaguchi (@mandel59) 2015, 8月 4