Suica専用自販機に見る形骸化した記号の話
Suica専用自販機。
— いし@名誉駅長35ヶ月目 (@mk_ishi) 2016年7月15日
どんどん進めていけばいいし、
通常の自販機を流用するのも全然いい。
たださ、
なんでコイン投入口跡に小銭のイラストを残したの?
飲み物買おうとした外国人、英語の説明ないから、お金入れようと四苦八苦してたぞ。 pic.twitter.com/qIja6ba6Bx
あと、Suica専用自販機のコイン投入口の上の点字、
— いし@名誉駅長35ヶ月目 (@mk_ishi) 2016年7月15日
たぶん"コイン"って書いてある。
視覚障害者のことを考えたら、コインが投入できないここに、コインって点字を残さないでしょ。https://t.co/PKCv57C7U7 pic.twitter.com/6ceHmw1wgp
あの酷い、残額を見せる気のない自動改札機を改良もせずに展開してるJR東日本に期待する方が悪いとは思ってるけど、
— いし@名誉駅長35ヶ月目 (@mk_ishi) 2016年7月15日
訪日外国人や視覚障害者にたいしての配慮がいかないのはさすがに放置できない。
この話を見た時、これはまさに「形骸化した記号」のよい例だろうと思った。ナンセンスな「電子署名」の話よりも、それが形骸であることがずっと分かりやすい。
普段から自販機を使っている大多数の日本人にとって、それがコイン投入口だということを認知するためにコインの絵や点字は必要ではなく、無意識に見過ごされた記号であったのだろう。だから、実際に困る人が現れるまでは、誰も気づくはずがなかった。
それで、教訓として得るべきなのはなんだろうか。マイノリティーへの配慮を充実させること? まあ、それはそうだろう。多様性を持つ利用者全般に対して不都合のないデザインであるか、よくテストを行うべきだと言える。アクセシビリティのガイドラインを守り、マイノリティーを尊重し、適切なテストを行った後にプロダクトを出すのが理想だ。問いたいのは、理想を実現させるにはどうすればよいのかということだ。
あらゆるマイノリティーに対してアクセシビリティ上の困難がないかテストをするには多大なコストが掛かる。それは必要なコストだ、と頭で分かるとしても、感情が付いてこない。マジョリティーはマイノリティーに対する意識を高めなければならないのだけれども、それはアクセシビリティのガイドラインを頭に叩き込むだけでは成しようがない。必要なのは、ルールの遵守というよりも、記号を多様な観点から見ることができる柔軟さだ。
記号の不完全さへの意識を高めるのに、笑いは重要な役割を果たしうる。私たちは記号を信用し、時に記号に裏切られる。記号の解釈には文化による差異があり、それによって起こる勘違いは、記号が引き起こす悲喜劇だ。記号はコミュニケーションのなかだちだけど、それが勘違いの種であり、常に不完全さを孕むことを認めよう。未知の存在との交流は常に勘違いの連続だ。私たちは記号と、記号が引き起こす勘違いを互いに笑いながら、少しずつ乗り越えていくしかない。異文化交流とは、寛容性を前提としなければ成し得ないと思う。