東京メトロの行先案内の多言語化で全言語にルビが付いていて賢いという話(だけど限界もある)




ルビ(振り仮名)が振ってあると、すごく日本っぽい感じがする。ハングル一色の画面を見れば、異形の文字を見慣れない人には忌避感を与え、ここは日本だぞと文句を付けたくもなるっていう人が出てくるんだろうけれども、ハングルに振り仮名するだけで、そういう人にとっても、なんだ日本語じゃないかと思えてくるのではないか。たぶん。まあ、それでも文句を付ける人は付けるんだろうけれども。

ルビは、昔から漢字と仮名を併用してきたからこそ生まれた、日本独特の組版文化だと言える。もちろん、発音を併記するのは中国語学習用のテキストとかでもやることではあるのだけれども、日本語のようにルビを常用する文化は他にないだろう。漢字と仮名という複数のチャンネルを使って情報を流すことで、字義と音価、あるいは意味と意味が新しい形で結びつく。そのことが、言葉を新しい視点から眺めることを教えてくれる。

ルビの欠点として、ルビは小さい。視力に自信がない人は、やっぱり平仮名の大表示も欲しいって思うだろう。そして、ルビを振ると画面が煩雑になる。大きな表示スペースがないと難しい。万人にとって良い画面を設計するのはほぼ不可能なことで、どうしたって切り捨てが生じてしまう。液晶ディスプレイによる時分割表示は、多言語対応の万能薬ではない。

そもそも、公共のディスプレイに表示しようとするから、万人が読める表記という難題を解かなければならないのであって、一番いいのは、個々人に最適化された案内表示がなされることだろう。スマートフォンに表示する分には、他人の目を気にすることなく、自分の都合のよい表示方法に設定できるはずだ。案内情報を局所的に配信する仕組みは絶対に必要だと思うのだけれども、誰か真剣に取り組んでくれないだろうか。